「出鱈目(でたらめ)でしょう」
「出鱈目なものか、希臘語(ギリシャご)だ」
「何という字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。ただ綴(つづ)りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」
他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗(むやみ)にのむ。平生なら猪口(ちょこ)に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸(やけひばし)のようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に
「もう御よしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」と苦々(にがにが)しい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。大町桂月(おおまちけいげつ)が飲めと云った」
「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢っては一文(いちもん)の価値もない。
「桂月は現今一流の批評家だ。それが飲めと云うのだからいいに極(きま)っているさ」
「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」
「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」
「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」
「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫(おっと)を大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」
「これが精一杯のところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入(はい)り次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜(よ)豚肉三片(みきれ)と塩焼の頭を頂戴した。