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九 - 8(2 / 2)

「玉を磨(す)りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土(かんど)では玉人(きゅうじん)と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。

「なるほど」と主人はかしこまっている。

「すべて今の世の学問は皆形而下(けいじか)の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍(さむらい)は皆命懸(いのちが)けの商買(しょうばい)だから、いざと云う時に狼狽(ろうばい)せぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯(よ)ったりするような容易(たやす)いものではなかったのでがすよ」

「なるほど」とやはりかしこまっている。

「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手(ふところで)をして坐り込んでるんでしょう」

「それだから困る。決してそんな造作(ぞうさ)のないものではない。孟子(もうし)は求放心(きゅうほうしん)と云われたくらいだ。邵康節(しょうこうせつ)は心要放(しんようほう)と説いた事もある。また仏家(ぶっか)では中峯和尚(ちゅうほうおしょう)と云うのが具不退転(ぐふたいてん)と云う事を教えている。なかなか容易には分らん」

「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」

「御前は沢菴禅師(たくあんぜんじ)の不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)というものを読んだ事があるかい」

「いいえ、聞いた事もありません」

「心をどこに置こうぞ。敵の身の働(はたらき)に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀(たち)に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人の構(かまえ)に心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある」

「よく忘れずに暗誦(あんしょう)したものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君分ったかい」

「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。

「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」

「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」

「や、それは御奇特(ごきどく)な事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」

「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」

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